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* メーリングリストのログ(071~080) [#p41ec987]

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** [071] 怒られてしまった [#i05c2a7d]
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From: Joji Takamoto <joji@kokemus.com>
Subject: [juen] 怒られてしまった

高本です。萩谷さんに怒られてしまった(笑)。次の表現がまずかった。

> 先日の市民プラザの稽古は70年代のやり方ですよね。
> 熊さんの修論はどこにいっちゃったの?

ぼくは萩谷さんに文句を言ったわけじゃないんですよ。演出に対する文句です。
何も言わないというか、萩谷さんと石塚さん任せの演出に文句を言ったのです。
熊さんは「クリエイティヴ・ドラマ」という一つの演劇思潮で修論を書いたのに、
せっかくのその精神がどこにも活かされていないという気がしたからです。

ぼくは土曜日に参加したとき、自分の考え方はダメ出しという形でも語ったし、
「このシーンはファンタジーなんだからリアリズムに拘泥しすぎる必要はない」、
「まず、横さんと香菜恵ちゃんの『役者としての個性』を活かすことが大切」、
「もっとのびのび、いきいきと稽古自体も楽しもう」と語りました。

これはある意味、石塚さんや萩谷さんが出されていたダメ出しに対して、
やんわりとした形で反論していたわけです。それは伝わっていたはずです。
横さんも香菜恵ちゃんも半死人みたいになって稽古しているのが気の毒で…。
そのことは、養老乃瀧でも少し熊さんには話をしました。芝居は苦行じゃない。

ぼくはその席で参加を決意したばかりですから、それまでの経緯は全然わかりません。
柏崎の公演のときには萩谷さんも参加されたものとつい最近まで思ってました。
そうじゃなかったと偶然に知ったのは、ホントについ1週間ほど前のことです。

柏崎公演の話は熊さんから持ち掛けられたのですが、ぼくは二つの理由で断りました。
第一は「時期尚早」だと思ったこと。
稽古時間確保の問題もありますが、それよりも柏崎の当時の状況を見るにつけて、
ぼくとしては演劇ボランティアよりも肉体労働ボランティアを優先しました。
第二は『賢治島探検記』の一部だけを抜粋して上演する姿勢に疑問を感じたこと。
ぼくが成井さんなら『賢治島探検記』という一つの作品としての上演を要求したはず。
加藤昌史さんとの関係もあり、あまり乱暴なことはしたくなかったのです。

前回の『ケンジ先生』が終わったあと、ぼくは次にみんなで上演するとしたら
『賢治島探検記』しかないなと思っていました。だからサントラCDも買いました。
加藤昌史さんには、脚本のことも直接電話で相談したこともあります。
そのときの答は、「あれは脚本外に出してないんですよ。ただ、稽古用の台本なら
自分のが確かあるはずだから、上演が決まったら相談してください」とのことでした。
しかし、その後、DVDで「字幕」を出すとすべての台詞が字幕で出てくるので、
それ以上、加藤さんとは脚本の話は詰めていません。

しかし、ここに大きなヒントがあります。
キャラメル&ネビュラは、ほとんどの作品の脚本を販売しているというのに、
なにゆえ『賢治島探検記』の場合は脚本が出版されていないのか。
それはこの作品が、脚本支配型ではなく創意工夫型の作品であること、
また、この作品では、演出主導型ではなく集団合議型の芝居作りが求められていること、
この二点に尽きると思っています。演劇用語では「デバイジング」といいます。
デバイジングという手法を積極的に取り入れたのが「クリエイティヴ・ドラマ」。

ぼくは香菜恵ちゃんに、「この芝居の座長はだれ?」と尋ねました。
香菜恵ちゃんは最初、「熊さん」と答えてくれましたが、それは違います。
「座長」はセロ役の香菜恵ちゃんでなくてはならないとぼくは思います。
役者であると同時に、舞台監督の役目も務めなくてはならないのです。
だからこそ、香菜恵ちゃんがもっと自由な創意工夫を見せてくれなきゃと思ってます。

さて、今回の公演が「無茶」だという意見が何人かから出ていますが、
ぼくはあんまりそうは思わないんですね。どちらかというと楽観的です。
それに、「無茶」だと思っている限り、どこか後ろ向きになってしまいます。
「これまでの経験」を活かすことも大切ですが、「新しい経験」も楽しいものです。

最後に。ぼくは70年代の演劇も好きです。同様に80年代演劇も好きです。
ただ決定的なことは、70年代は脚本支配型・演出主導型で、涙と汗の稽古でした。
その背景にあったのはスタニスラフスキーとブレヒトの考え方(というか思想)。
でも、そうでないやり方が90年代以降、日本でも広く行われるようになってきた。
ジャージー・グロトウスキーやスティーヴン・バーコフのような自由な発想。

遠隔地にそれぞれ居住しているみんなで作る芝居だからこそ自由さが求められる。
ぼくはそう思っています。
ひとりひとりがプレーヤー(アーティスト)として自立していないと、
アドリブのきいたアンサンブルはできない。
ですから、熊さんにはこの作品の特性に合った演出をぜひお願いしたいと同時に、
グループの代表として、情報の事前共有がされるよう心を砕いていただきたいです。
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