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*中越現地視察(4) 長岡ニュータウン探訪 [#z5990b2e]
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川口町をあとにした熊澤号は、再び関越道に乗り、長岡まで引き返す。長岡インターチェンジで高速を下り、まずは長岡技術科学大学の「学生支援センター」へ。活動されている方はいなかったが、ここの貼り紙で、山古志村の方々が集落ごとに分散して暮らしている応急仮設住宅の詳しい所在地を確認。

右の地図は、その貼り紙をもとにして作成したものだが、このように山古志村の人びとは集落ごとに3つの応急仮設住宅群に分かれて生活している。われわれは、「新陽」→「陽光台」→「青葉台」の順で、3箇所すべてを巡り、特に集落ごとに設置されている5つの「集会所」はすべて訪れてみた。

最初に訪れた新陽の仮設住宅は温泉施設「アクアーレ長岡」からほど近いところにある。ちょうど小学生の子どもたちが雪合戦をして遊んでいた(雪合戦は大の大人がするものではない)。そのうちの二人は小学校6年生だった。その二人にいろいろ話を聞くことができた。

山古志村の小学生は、現在、長岡駅近くの坂之上小学校までバスで通学している。バス通学も、大規模校での寄り合い生活も、なかなか子どもたちには負担になっているようだ。「友だちみんなと一緒にお芝居を見るならどこがいい?」と尋ねたら、「地区の集会所がいちばんいい」と答えてくれた。しかし、集会所は芝居を上演するには手狭だ。「その次はどこがいい?」と尋ねたら、「坂之上でもいいけど、やっぱり近い青葉台かな」という答。

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子どもたちが遊んでいた場所は集会所のすぐ裏。熊さんを誘ってその集会所を訪れてみた。ちょうど地元の方がワラ細工をされているところだった。その隣では、男の子と女の子がジグソーパズルで遊んでいた。うしろの壁には上越市立城東中学校から届けられた激励ポスター。それを見ながら熊さんと二人でお茶をご馳走になる。パズルは男の子の方が先に完成して、「やったー!」と叫ぶ。その上の壁には、千羽鶴と並んで、ヘア・デザイナーの田中トシオさん(山古志村出身)の書が掲げられていた。「帰ろう/大好きな山古志村に/帰ろう/時間がどんなにかかっても/帰ろう/皆んなで力を合わせて/帰ろう」。

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引き続いて、陽光台の仮設住宅地に向かう。白く塗られたドラム缶で造られた「希望の鐘」の前で、若者衆を写真に収める。彼らは普通の表情で写真に収まることがない。住宅地の中を巡っていると、仮設住宅の外壁に応急の物置を作っているおじさんと出会った。「いやぁ、シロウトだから、どうもうまくいかないよー」と苦笑しておられたが、いや、どうしてなかなかの手さばき。その先で、飼い犬と戯れていた小学生を発見。5年生とのこと。「お芝居見るならどこがいい?」と尋ねたら、「う〜ん、どこでもいいけど、坂之上はイヤだな」とのこと。「どうして?」とさらに訪ねると、「だって、ひとが多すぎる」というのが答。なるほど。

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仮設住宅地めぐりの最後は青葉台。サトシとチカが集会所で区長さんのお話を伺っていたころ、ジョルジオは路地で子どもたちと遊んでいる(子どもたちに遊ばれている)スミダさんと出会う。スミダさんは大正大学の学生さんで、友人と二人で茨城県土浦市から「ぶらっと」ボランティアに来ているのだそうだ。子どもが勝手に他人の家から持って来たプラスチックのスコップは壊れるワ、自分の携帯電話は子どもに取り上げられるワで、なかなか大変そう。仮設住宅の敷地には、「帰ろう!! 山古志へ」のノボリ旗が随所で風になびいていた。
仮設住宅地めぐりの最後は青葉台。サトルとチカが集会所で区長さんのお話を伺っていたころ、ジョルジオは路地で子どもたちと遊んでいる(子どもたちに遊ばれている)スミダさんと出会う。スミダさんは大正大学の学生さんで、友人と二人で茨城県土浦市から「ぶらっと」ボランティアに来ているのだそうだ。子どもが勝手に他人の家から持って来たプラスチックのスコップは壊れるワ、自分の携帯電話は子どもに取り上げられるワで、なかなか大変そう。仮設住宅の敷地には、「帰ろう!! 山古志へ」のノボリ旗が随所で風になびいていた。

うちのバカ者衆(若者衆)も、集会所横の雪山で、しっかり子どもたちに遊んでもらった。そのすきに、熊さんとフルコとジョルジオの3人は、「長岡ニュータウンセンター」の調査。畳敷きの和室の向こうに、外からは見えない講堂があるのかもしれないが、結局確認できなかった。芝居をやるにはあまり適していないということで熊さんと意見が一致。その間、バカ者衆はずっと子どもたちとおバカをやっていたようで、もうびしょびしょ。憎まれ口ばかりたたいていた子どもたちは、熊澤号のあとをずっと走って見送ってくれた。「きっとまた来るからな〜」とそれに応える。

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いや、しかし……。若いということは(そして、バカいということは)、とても素晴らしいことだ。今回の中越の旅、最初の予定では熊さんと二人だけのつもりだったが、若者衆が一緒に来てくれて本当によかった。

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